
丁度、1週間程前になりますか・・・
「やあ~・・・ 蕎麦を打ちてけど、そば粉あるけえ~・・・。」と
TELすると・・・
「あるで~・・・出掛けて来いや・・。」との談
「雪は・・・?」と、聞いたら
「道はねえけど、あとは真っ白だぞ~・・・」
「丁度 寒晒し(かんざらし)の段取りをするとこだで~
手を貸してくれや・・・。」との事
そんなんで・・・
久し振りに「おのこのそば家」に行って来ました。

ご覧の通り 一面の雪景色
久し振りに「手前蕎麦」を打たせてもらい
次は「寒晒し」のお手伝い・・・・
まずは清水(しみず)に漬けておいた「蕎麦の実」を引き上げて・・・

雪の中を移動して・・・

水道水で「洗浄」・・・・

そして、寒風の中で 乾燥・・・


これだけの説明では、なにがなんだか わかりませんよね・・・。
では・・・
寒晒しの意味を少し 能書きを垂れますね・・・。
と、思ったが手っ取り早く、「茅野市の寒晒し蕎麦」紹介文章があったんで
無断借用していましました。
茅野市さん ごめんなさい・・!!
悪意はありません・・・
寒晒し蕎麦の宣伝ですので・・・。
「将軍家への献上そば」
江戸時代に諸国266藩から将軍家への献上物は
季節ごとに献上品が定められていた。
そのうち蕎麦(そば)は、今も名産地とされる土地の9藩から献上され
夏の土用そばとして「暑中寒晒蕎麦」を信濃国伊那郡高遠藩と、
信濃国諏訪郡高島藩の2藩が献上していた。
当時として高い技術を要しかなりの高級品であったことがうかがわれる。
秋に採れた蕎麦の実を袋に入れ、厳寒期(寒中・大寒から立春まで)の
冷たい清流に浸し、それを引き上げ戸外の天日と寒風に晒しながら
約1ヶ月かけて乾燥させていく。
土蔵で夏までゆっくり熟成させた「特別なそば」のことであり
当時の信州蕎麦の最高位に位置づけられる
名産品であった。
そうした蕎麦の実の真ん中の部分を取り出して打った蕎麦は
アクが抜け舌ざわりが良く、甘みのある純白な味わいの蕎麦に
なるといわれ麺がシコシコ・モチモチとした食感が味わえるとされている。
茹でても白い色が変わらないといわれる。
要点は・・・
蕎麦の実の核となる胚芽が水温に反応して、我が実を守る為に
旨味成分を蓄え・・・
更に灰汁(あく)も抜け
殻に付着した他の雑菌やほこりもなくなり
長持ちが可能となると云う事ですね・・・。
忠良爺さんのこだわりは・・・
水道水での洗浄と食す時期にあるようです・・・。
「夏まで保存するより、五月頃の方が美味い気がする・・・。
だから・・・俺は5月に食べる・・・」とのこだわり。
今回は 約200食分の「寒晒し」でした。
もう一つ・・・
忠良爺さんのこだわりは・・・
俺は・・・
地元(茅野市)の凍み文化が
(例えば・・・寒天・凍み豆腐・凍み大根)
あるから、俺んちの蕎麦は「お凍み蕎麦」・・・
と、譲らない・・・
(まあ~・・・この頑固さも ”味の内” ですか・・・・。)