2014年 11月 09日
鎌倉街道・坂室編② |
鎌倉街道・坂室編②の始まり…
始まり・・・
今日のキーワードはこの地図と・・・
この参考文献・・・ です。
木舟の宮川西側木戸口から、白サレ山(青ナギ)の下を
通り、宮川の坂室上の墓地の辺から坂室の本村とわかれ
一つは坂室社上から舟久保に出て宮川小学校の「古道端」と
いうところから大欠(おおかけ」の東で上川(かみかわ)を渡り・・・
と、ある・・・・。
また・・・・
鎌倉街道の西街道は、宮川の本村で東の街道と別れて
「K氏」宅の地を宮川左岸のイオリ沢(庵沢)から
西茅野に至り・・・・
と、ある・・・。
まずは、坂室の本村に移動し、駐車場を探すことに・・・
集落の外れに車を止めて・・・
まずは文献にある「K氏」宅を探すことに目標を定め
歩くこと 数十歩・・・
同行のY氏が・・・
「そこに知り合いの顔があるわ・・・。」と
庭先より、声掛け・・・
ご多分に漏れず・・・
「何をやっているだや・・・?。」との返事・・・
事情を説明すると・・・
「そんなら 俺より適任の人がいるわ・・・。」と
フットワークよく その分野に詳しい I氏宅に同道
俺達を紹介してくれたんです・・・。
I氏もまた気さくに・・・
帽子を片手に、古道の案内をしてくれることに・・・
漫ろ(そぞろ)神の粋な計らいとは、このことか・・・。
出会いの楽しさは、街道探索の至福ですね・・・。
I氏に戴いた「坂室の資料」と「ご説明」を聞きながら・・・
鎌倉街道 探索開始です・・・。
まずは「青ナギ」を抜けた後、「勝山(峠)」を通り
宮川の川を越さずに川添いに坂室入りする街道が
この道です・・・
この写真は対岸を撮影したものです・・・
そして、鳴沢川と交差・・・
I氏の説明では・・・
この鳴沢川は諏訪神社の神域(結界)の境で、これより内は
汚してはならないと伝えられているとの談でした・・・。
そして・・・
すぐそこに江戸時代の形をそのまま残す「両墓制」という
極めて、珍しい墓地が・・・
両墓制とは・・・
「埋め墓」と「拝み墓」に区別され、「埋め墓」は死者を埋める所
「拝み墓」は石塔に納まる霊を拝む所・・・
現在、茅野市では2か所しか確認できないらしい・・・。(I氏 談)
さて・・・・
街道に戻りましょう・・・
暫く進むと、東西の街道分岐点が・・・
地元の方の説明なしでは見過ごしてします場所です・・・・。
住宅事情の変遷で今は ”道” がないんですが
従来はこの地点で別れていたようです・・・。
ここからは・・・
西街道を行ってみましょう・・・
このお宅の母屋とお蔵の間を抜けて・・・
庭先から、生活道路に出て・・・
更にこのお宅の庭先を抜けて・・・
「崖の下(がけの下)」を通り・・・・
(地図・参照)
鎌倉街道は、西茅野に向かった・・・。
下の写真は街道脇にある「行屋(ぎょうや)」です・・・。
昔・・・
旅人が疲れを癒し、傷病人の休養場としての機能を備えて
いたとの・・・談。
いや・・・
いや・・・・
お陰様で、 ”至福のタイムスリップ”を
させて戴きました・・・。
I さん・・・
有難うございました・・・。
次回は、宮川に抜ける鎌倉街道をご案内しますね・・・。
どうも・・・
坂室は交通の要所ですね・・・。
甲州街道・塩田道・鎌倉街道・歩射道(御射山祭行列の道)
良い発見でした・・・。
始まり・・・
今日のキーワードはこの地図と・・・
この参考文献・・・ です。
木舟の宮川西側木戸口から、白サレ山(青ナギ)の下を
通り、宮川の坂室上の墓地の辺から坂室の本村とわかれ
一つは坂室社上から舟久保に出て宮川小学校の「古道端」と
いうところから大欠(おおかけ」の東で上川(かみかわ)を渡り・・・
と、ある・・・・。
また・・・・
鎌倉街道の西街道は、宮川の本村で東の街道と別れて
「K氏」宅の地を宮川左岸のイオリ沢(庵沢)から
西茅野に至り・・・・
と、ある・・・。
まずは、坂室の本村に移動し、駐車場を探すことに・・・
集落の外れに車を止めて・・・
まずは文献にある「K氏」宅を探すことに目標を定め
歩くこと 数十歩・・・
同行のY氏が・・・
「そこに知り合いの顔があるわ・・・。」と
庭先より、声掛け・・・
ご多分に漏れず・・・
「何をやっているだや・・・?。」との返事・・・
事情を説明すると・・・
「そんなら 俺より適任の人がいるわ・・・。」と
フットワークよく その分野に詳しい I氏宅に同道
俺達を紹介してくれたんです・・・。
I氏もまた気さくに・・・
帽子を片手に、古道の案内をしてくれることに・・・
漫ろ(そぞろ)神の粋な計らいとは、このことか・・・。
出会いの楽しさは、街道探索の至福ですね・・・。
I氏に戴いた「坂室の資料」と「ご説明」を聞きながら・・・
鎌倉街道 探索開始です・・・。
まずは「青ナギ」を抜けた後、「勝山(峠)」を通り
宮川の川を越さずに川添いに坂室入りする街道が
この道です・・・
この鳴沢川は諏訪神社の神域(結界)の境で、これより内は
汚してはならないと伝えられているとの談でした・・・。
そして・・・
すぐそこに江戸時代の形をそのまま残す「両墓制」という
極めて、珍しい墓地が・・・
「埋め墓」と「拝み墓」に区別され、「埋め墓」は死者を埋める所
「拝み墓」は石塔に納まる霊を拝む所・・・
現在、茅野市では2か所しか確認できないらしい・・・。(I氏 談)
さて・・・・
街道に戻りましょう・・・
暫く進むと、東西の街道分岐点が・・・
従来はこの地点で別れていたようです・・・。
ここからは・・・
西街道を行ってみましょう・・・
このお宅の母屋とお蔵の間を抜けて・・・
(地図・参照)
下の写真は街道脇にある「行屋(ぎょうや)」です・・・。
昔・・・
旅人が疲れを癒し、傷病人の休養場としての機能を備えて
いたとの・・・談。
いや・・・・
お陰様で、 ”至福のタイムスリップ”を
させて戴きました・・・。
I さん・・・
有難うございました・・・。
次回は、宮川に抜ける鎌倉街道をご案内しますね・・・。
どうも・・・
坂室は交通の要所ですね・・・。
甲州街道・塩田道・鎌倉街道・歩射道(御射山祭行列の道)
良い発見でした・・・。
ご案内をして頂いた I氏・・・・
俺にとっては、「雲の上の人」でした・・・。
お近づきになれたのも・・・
漫ろ(そぞろ)神の粋な計らいと・・・。
感謝・感謝でした。
(後日談ですが、諏訪広域図書館の検索でI氏の著作を探すと
諏訪市と茅野市の図書館に2冊の本があるじゃないですか・・・。
早速、借りてきて、読み出したところです・・・。)
俺にとっては、「雲の上の人」でした・・・。
お近づきになれたのも・・・
漫ろ(そぞろ)神の粋な計らいと・・・。
感謝・感謝でした。
(後日談ですが、諏訪広域図書館の検索でI氏の著作を探すと
諏訪市と茅野市の図書館に2冊の本があるじゃないですか・・・。
早速、借りてきて、読み出したところです・・・。)
by gakurokusoba
| 2014-11-09 10:45
| 諏訪便り・諏訪巡り
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